知恵の女神ミネルバを象徴するフクロウには、宮本茂紀さんの椅子への想いが込められています。
龍村美術織物の依頼で行われた宮内庁の馬車修復作業を通し、椅子という道具は日本でどのように作られてきたか。幕末からの歴史を振り返りましょう。
明治のはじめ椅子張りの元祖といわれるのが、大河原甚五兵衛と原安造(馬具安)です。
大河原は元々横浜のグランドホテルの調理人でしたが、備品の椅子や調度品の修繕を手掛けているうち、手の器用さをかわれ内装全般を手掛けるようになりました。
一方、原は幕末から横浜・本牧の辺りで馬具や馬車の内装を手掛け、明治元年頃にイギリス人から椅子張りを習ったそうです。
やがて2店とも元町へ店を構え、切磋琢磨しながら多くの名人が育ちました。(参考:全国椅子張同業組合連合会「創立五十周年記念誌」)