白洲次郎さんとの出会い

宮本茂紀は白州次郎、白洲正子両氏と長期に渡って交流がありました。
白洲次郎氏がマッカーサーに送った椅子のレプリカなど、そのエピソードをご紹介します。

- About -はじめに

Episode1 -白洲次郎さんとの出会い

~宮本茂紀インタビュー 雑誌「室内」(1999年) memories of Jiro S.より~

今から30年くらい前になるでしょうか。
私は椅子を作る職人ですが、当時、白洲さんが会長を務めていた大沢商会での仕事もさせていただいていました。
忘れもしません。
84年2月に大沢商会が倒産したその翌日、白洲さんから電話をいただき「宮本君、お茶を飲みに来い」と誘われました。
鶴川のご自宅に伺ったその帰り、白洲さんは、ご自分が戦後すぐにもらったという床柱と、「これで一杯飲め」と10万円を下さったんです。

感激しました。
それまで正子夫人ともよく木について話をしていたこともあって、「これは宮本君しか大事にしてくれないから」と、大切に包んであった床柱を私に授けて下さったんです。
そして帰る道すがら、正子さんが竹の話をされていたことを思い出し、道筋の籠屋に寄って、いただいた10万円から記念に背負い籠を買いました。
いい手のもので、今でも机の脇に置いて屑篭に重宝しています。

alt="白洲次郎さんとの出会い "
alt="白洲次郎さんとの出会い"
alt="白洲次郎さんとの出会い"
alt="白洲次郎さんとの出会い"

白州次郎さんから頂いたメープルの床柱

1982年雑誌AD連載当時の白洲正子さんと木を語る

白洲正子さんにプレゼントしたタガヤサンのボスコは今でも東京都町田市の旧白洲邸「武相荘」でみることができる

白洲さんの家の細々としたことも、ちょくちょくお手伝いさせていただきました。
ある時は「2階の寝室を真っ暗にしてくれ」。
カーテンから光が漏れると眠れないんだ、とおっしゃっていましたね。
階段の手摺りも、木ではなく「ロープがいい」 と。
「ロープじゃ滑るじゃないですか」と言ったら「何とかしろ」。
それでロープを縛ってコブをたくさん作ったらどうだ、ということになりました。
私たちからすると手摺りは降りる時に滑ってはいけないと考えるんですが、白洲さんは下でお酒を飲 んで昇って行く時に掴まりやすいもの、ということで考えていたんでしょうね。

修復前

alt="白洲次郎さんとの出会い"

こちらが再生前の状態。吉田茂元首相が白洲次郎氏より借りて使っていたというもの。
生前、白洲氏はこの椅子の張り替えを絶対に許さなかったという。

今、白洲さんのソファの修理を手掛けています。
正子さんのお父さんが昔イギリスで買って吉田茂元首相に差し上げ、吉田さんが亡くなって鶴川に返していただいたという、あの革張りのソファです。
鶴川に戻ってきた当時からすでにかなり傷んでおり、穴だらけでしたので、私が「これは革を張り替えなくてはだめですよ」と言うと、「馬鹿なこと言うな。吉田さんの手垢がちゃんと残ってるんだ。大事にしろ」と怒られてしまいました。
「何とか中身が見えないようにしろ」と言われるので、全体の張り替えをせずに破れた部分を補修しました。
あれから20年近く経ちますが、よくもったものです。

白洲さんが大切にしていたソファ、今度こそ革を張り替え、土台から改修しなくてはなりませんが、100年以上前に生まれた時の、その元の形に、蘇らせたいと思います。

alt="白洲次郎さんとの出会い"
alt="白洲次郎さんとの出会い"

内側をすべて修理した後、肘束と座枠に革を張って確認しなが作業を進める。
その手間は新品の椅子を作るよりもかかる。

alt="白洲次郎さんとの出会い"

背を裏から見たところ。伝統的なコイルスプリングを使った製法は、おそらく昭和の初期にイギリスで製作されたものと思われる。

alt="白洲次郎さんとの出会い"

当時ヨーロッパの椅子は、座枠の縁などは見かけの美しさよりも座ったときの当たりの感触を重視していたという。

alt="白洲次郎さんとの出会い"

座面の上には、しっかりとしたクッション材が敷かれる。

修復後

alt="白洲次郎さんとの出会い"
alt="白洲次郎さんとの出会い"

見事に再生させた白洲邸のダイニングセット。庭の奥行きは650mm近くあり、ひとり掛け4脚にふたり賭けソファーがひとつという構成だった。

Episode2 -白洲次郎氏がマッカーサーに贈った椅子

吉田茂元首相の側近としてGHQ連合国軍最高司令官であるダグラス・マッカーサー元帥と渡り合ったことで知られる白洲氏ですが、1947年そのマッカーサー元帥に贈った自らがデザインした椅子が存在しています。
GHQ最高司令官を表す五つ星。
座面は非常に低く、低い目線で日本を眺めて欲しかったのではないかとの推察があった椅子ですが、今はアメリカのマッカーサー記念館に所蔵されてます。
2009年に一度日本に里帰りし、福岡アジア美術館にて日本初公開しました。
展示会の後、白洲次郎氏のご令嬢様より、この椅子のレプリカを製作して欲しいとのご依頼を受けました。

レプリカの製作にて、材料は”ケヤキ”の無垢材のみを使用しており、組み手の技術が使われているのですが、ケヤキの反りやすい性質を考慮して、材料が動いても割れないように工夫されています。これはケヤキという素材を熟知した熟練した職人の技の上に成り立つ作品となっています。

近年、このような素晴らしい材料も手に入りにくくなっていますが、そのこと以上にこのような技術を理解した設計者と職人が少なくなっていることを、この椅子を通して痛切に感じてしまいます。

alt="白洲次郎さんとの出会い"

福岡アジア美術館にて日本初公開(期間:2009年3月7日(土)〜2009年5月10日(日))

alt="白洲次郎さんとの出会い"
alt="白洲次郎さんとの出会い"

2009年5月25日
白洲次郎氏のご令嬢様より、レプリカの製作ご依頼を受け、実物から寸法を測らせて頂きました。

組み手のディテイルがとても愛らしい椅子です。

alt="白洲次郎さんとの出会い"
alt="白洲次郎さんとの出会い"
alt="白洲次郎さんとの出会い"
alt="白洲次郎さんとの出会い"
alt="白洲次郎さんとの出会い"
alt="白洲次郎さんとの出会い"

2009年10月15日
レプリカ製作完成。東京都町田市の旧白洲邸「武相荘」でみることができる。

- Company -会社概要

MINERVAの軌跡

“日本初の家具モデラー”の創業者の理念を受け継ぎ、
天皇陛下の玉座修復から西洋家具市場への発信まで取り組んでいます。

1966年8月、東京・品川区で創業した「五反田製作所」が前身のミネルバは、特注家具の製作や修繕を手掛けるプレミアム家具メーカーです。
世界最大規模の国際家具見本市「ミラノサローネ」への出展、大手自動車メーカーからの依頼によるシートの試作、一流ホテルやレストラン用、ヨーロッパハイブランド特注ソファの製作など、幅広い分野で豊富な実績を築いてきました。

沿 革

11月22日(木)放送予定のテレビ東京系「二代目和風総本家」の「皇室と職人~ニッポンが誇る最高峰の技~」では、天皇陛下の儀式用の椅子「玉座」の修復を手がけるミネルバの職人が紹介されました。

テレビ東京系「二代目和風総本家」公式ウェブサイト:
http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/
https://twitter.com/wafusohonke

※写真:テレビ東京系列和風総本家より

創業者の宮本茂紀は日本初の“家具モデラー”として、世界的な建築家やデザイナーの作品を具現化してきた実績があります。

現在、代表取締役の宮本しげるが二代目家具モデラーとしてデザイナーやアーティストが起こすデザインやイメージ、想いを的確に読みとって実際の家具製作へと結びつけています。

※玉座の修復に取り組む初代モデラー
 創業者 代表取締役会長 宮本 茂紀(右) 黄綬褒章受章
 二代目モデラー 代表取締役社長 宮本 しげる(左) 東京マイスター受賞

- Contact -お問い合わせ

お問い合わせ