- About -はじめに

1996年、愛知・博物館 明治村の展示リニューアルの際、椅子100脚程の修復依頼を受け手掛けました。

alt="愛知県明治村"
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【椅子の神様 宮本茂紀の仕事 | LIXIL出版より】宮内庁旧藏の安楽椅子 明治初期

宮内庁旧藏の安楽椅子
サイズ:W830×D770×H820mm
製作年:明治初期
所蔵=博物館 明治村

明治初期に日本で作られ、明治宮殿で使われたという
安楽椅子。四爪の龍の文様が表された絹製の裂地が、
見る者に強い印象を残す。宮本さんが修復を手掛ける
まで、一度も修理されなかったことが幸いして、当時
の技術を知る貴重な資料となった。

明治時代から第二次世界大戦
末期に空襲で焼失するまで、皇
室の中心的施設だった明治宮殿
で使われていた安楽椅子。宮本
さんはこの椅子に出合った時、
しっかりと作られてはいるか、
どこかぎこちないという印象を
持った。そのぎこちなさは、明
治初期という時代が、まだ洋家
具作りの発展途上の段階にあっ
たことを示しているという。

製作当初から張られていた、四爪の龍の文様の裂地(現在は復元した裂地に張り替え済み)。この文様は中国では貴族のみが使えるものであり、当時の皇帝から天皇へ贈られた裂地を張ったと推察されるそう。縁を覆うテープの文様は、中国由来のキ龍文。中国的装飾が目に付くが。螺鈿細工等の細部の作りの精妙さには、江戸時代から続く日本伝統の技術が息づく。
上/四爪の龍の文様の張地と。縁を覆うキ龍文のテープ。
右/脚部前方の螺鈿細工。

上/修復前の座面の張地。日焼けや摩擦で、文様は消えかかっている。右下の縒り紐(よりひも)は座面前方の縁部分に張られていたもの。
下/修復前の張地。座面脇等、露出していなかった部分の張地は、色合いをはじめ当時の面影を強く残す。所蔵(2点とも)=博物館 明治村

 この椅子は、宮本さんが修復を担うまでほぼ手入れされてこなかったのがかえって幸いし、明治初期の職人の技術を知る貴重な資料になった。座面の中のコイルスプリングは9巻と巻き数の多い大きなバラバネで、クッション材はヤシの葉の繊維や、馬毛(たてがみや尻尾等の毛)等が使われていた。木部について宮本さんは、内側の構造体には充分に乾かすと優れた強度と耐久性が出るケヤキを、目に触れる部分には加工性や着色性が抜群のカバを、と用途に応じて木が使い分けられていると話す。脚部の螺鈿細工は見事で、それは明治に入っても、彫金や細工に関しては、江戸時代の高い技術か息づいていたためだそう。
 その他に注目すべきは張地。通常、修復の際は予算の都合上、既成のファブリックに張り替えることが多い。宮本さんも明治村の意向に沿って、この椅子の最初の修復の際はそうしたが、のちに明治村が、当初の四爪の龍の文様の裂地を復元しようと決心。現・川島織物セルコンが特注で復元した裂地で、宮本さんが再度の張り替えを行い、今に至る。

修復中の、同じデザインの二人掛けの安楽椅子。座面には現代的な連結バネが敷かれつつ、アームは製作当初と同じ高度な技術で仕上げられている。写真提供(44ページ全て)=五反田製作所グループ

アームや脚については、欠けた部分を取り去ってから、そこへ新しい木材を取り付け、もともとの形状になるよう整えていった。さらに塗装を行えば、もとからの木部と新しい木部との境目が肉眼ではわからないほどに。そうした補修とともに、張り替え作業も行っていく。どこまで当初の姿を忠実にとどめ、またどこまでを新しい技術や素材で補うのか。修復を請け負った職人は、予算に収まる範囲内で、最良の修復後の力ヽたちを見極める力が試される。
右/修復中のアーム。欠けた部分を切り落とした後。
左/修復中の脚。もとから欠けていた脚を新しいものに取り替える。

◆朝香官邸落成。
◆ブルーノ・タウト夫妻が来日。技術指尋のため工芸指導所に入る。
1934(昭和9)
◆築地本願寺落成。
1935(昭和10)
◆多摩帝国美術学校(現・多厚美術大学)創立。
1936(昭和11)
◆帝国議会議事堂(現・国会議事堂)落成。
◆柳宗悦が東京・駒場に日本民襃館開設。
◆東洋ゴムがフォームラバーを発売。
1937(昭和12)
◆日支事変が始まる。
◆パリ万博にて坂倉準三設計の日本館が大賞獲得。
1938(昭和13)
◆国家総動員法公布。
◆金物の使用規制が始まる。
1939(昭和14)
◆価格等統制令公布。
1940(昭和15)
◆日独伊三国同盟締結。
◆大政翼賛会発足。
◆加藤正平が愛知・刈谷に木工所創業(現・カリモク)。
◆この頃からミシンの普及始まる。
◆工芸指導所が仙台か・趾里京へ移転。
1941(昭和16)
◆真珠湾攻撃。太平洋戦争に入る。
◆木材統制法公布。
◆東京椅子張同業者組合発足。
1942(昭和17)
◆ミットウェイ海戦で日本大敗北。
1943(昭和18)
◆第1回学徒出陣。
1944(昭和19)
◆神風特攻隊編成。
◆日本建築設計管理統制組合発足。
1945(昭和20)
◆日本、ポッダム宣言受諾し無条件降伏。
終戦。
◆工芸指導所、GHQの家島詞度の設計や家具生産の指導を始める。
1946(昭和21)
◆極東国際軍事裁判開廷。
◆日本国涵法公布。
◆日本染色図案家逗盟(現・日本図案家協会)設立。
1947(昭和22)
◆日本国憲法施行。
◆全日本家旦連盟設立。
◆工芸指導所が跫産家具の研究を始める。
1948(昭和23)
◆『暮しの手帖』創刊。
1949(昭和24)
◆ハンス・J・ウェグナー「ザ・チェア」発表。
1950(昭和25)
◆テャールズーイrムスが、新素材FRP(鐡維強化プラステック)を取り入れた「シェルチェア」を発表。
令フィンーユール「エジプシャンーテエア」発表。
◆フォームラバーが国内展示会にて大きな反響
◆天童木工が長大作デザインのダイニングチェアを発表。
1951(昭和26)
◆ジオ・ポンティ「レジェーラ」発表。
1952(昭和27)
◆柳宗理「バタフライ・スツール」発表。
◆日米安全保障条約発効。GHQ廃止。
◆工芸指導所が産業工業試験所に改称。
◆日本インダストリアルデザイナー協会設立。
1953(昭和28)
◆シャルロット・ペリアンがダイニングチェアを発表。
1954(昭和29)
◆マルコーザヌーソ「マルティンカーラーチェア」発表。
1955(昭和30)
◆工作社が月刊誌『木工界』(後の『室内』)創刊。
◆エムテーピー化成がドイツのパイエル社の技術を導入し、ウレタンフォーム生産。
◆横浜にて、椅子張及び室内装飾組合発足。
◆伊勢・烏羽にて、全日本椅子張同業者組合連合会発足。
1956(昭和31)
◆チャールズ・イームズ「ラウンジーチェア』発表。
◆ジオ・ポンティ「スーパー・レジェーラ」発表。
◆デザイナーの渡辺力、松村勝男、渡辺優がQデザイナーズを結成。
◆日本クラフトデザイン協会設立。
◆柳宗理のバタフライースツールが第11回ミラノトリエンナーレ展で金賞。
1957(昭和32)
◆アッキーレ・カスティリオーニ『メッ
ザドロ・スツール』発表。
◆渡辺力「トリイスツール」発表。
◆東京椅子張同業者組合を発展的解散し、東京椅子張協同組合発足。
1958(昭和33)
◆アルネ・ヤコブセン『エッグチェア』発表。
◆大量消費時代が始まる。
◆日本室内設計家協会(現・日本インテリアデザイナー協会)設立。
1959(昭和34)
◆日本ディスプレイデザイン協会(現・日本空間デザイン協会)設立。
◆技能検定制度設立。
1959(昭和35)
◆ハンス・J・ウェグナー「ジーオックステエア」発表。
◆新居猛『ニーチェア』発表。
◆剣持勇が籐編みの「ラウンジ・チェア」発表。
◆日本初の国際デザイン会議として、世界デザイン会議が東京で開催。
1961(昭和36)
◆千葉大学の小原研究室で、人間工学研究の成果発表。
◆雑誌『木工界』が『室内』と改名。
1962(昭和37)
◆小田急ハルクが、家具等生活用品の専門館としてオープン。
◆第1回コスガファニチャーコンペティション開催。
◆マックス社が日本初の釘打機・エアネイラの開発に成功。
◆家庭用品品質表示法制定。
1963(昭和38)
◆東京家具組合会工業部会が発展的解消され、東京都家具工業会設立。
◆日本家具工業会設立。
◆この頃までに、戦後も引きずっていた職人及び徒弟の雇用関係が大きく改善される。
1964(昭和39)
◆ヴィゴ・マジストレッティ「モデル905」発表。
◆剣持勇の「ラウンジ・チェア」が、日本の家具として初めてMOMA(ニューヨーク近代美術館)の永久収蔵品となる。
◆ホテルニューオータニ落成。
◆天童木工が硬質発泡ウレタン芯の椅子の商品化に成功。
◆西武百貨店がノール社と特約。
◆住友ベークライトがアスコ社と提携。
◆伊勢丹がモダンファニチャーセールスを設立し、ハーマン・ミラー社の商品を取り扱う。
◆北海道民芸木工(現・クラレ)設立。
1965(昭和40)
◆労働省が椅子張工試行技能検定実施。
◆ノールインターナショナルジャパン設立。
◆刈谷木材工業。総張り包み椅子の生産にかかる。
1966(昭和41)
◆学校家具J-S公布。
1967(昭和42)
◆国産釘打機・エアネイラの改良型が開発。
1968(昭和43)
◆ピエロ・ガッティ、チェーザレ・バオリーニ、フランコ・テオドーロが椅子「サッコ」発表。
◆日本がGNPで世界第2位に。
◆迎賓館改修工事着工。
◆第1回京都デザイン会議開催。
◆第1回四社展開催。天童木工、コスガ、
三好木工、秋田木工の4社による。
1969(昭和44)
◆日本インテリアデザイナー協会賞(以下、協会賞)始まる。
◆アルフレックスジャパン設立。

*宮本茂紀さんが独自に作成した歴史年表をもとに作成。

もうひとつの明治村 竹の椅子を中心に昭憲皇太后の椅子ほか

 この本のもとになった月刊誌『室内』の連
載で、明治村を訪ねたことがありました。以
前に別の場所で一度見たことのある鹿鳴館で
使われていた椅子を見たかったからです。も
ちろん、その他にもどんな椅子があるのか知
りたい気持ちもありました。
 そのときの印象を「建物はきちんと保存さ
れているのに、家具調度の保存に配慮が足り
ない」と、誌面で正直に述べましたところ、
当時館長をされていた故村松貞次郎さんから
厳重抗議のお電話を頂戴しました。しかし、
それが御縁となって、その後明治村の椅子の
修復の仕事をさせてもらいましたから、今と
なってはいい思い出です。
 その中から特に印象的な、「竹の椅子」を
中心にお話します。このとき小椅子を六脚、
肘掛を二脚直しました。

どこから来たのか
 この椅子は、昭和四一年に宮内庁から払下
げられて、明治村にやって来たものです。わ
かっているのはそれだけで、製作年代や使わ
れていた場所などは、明治村でも特定できな
いということでした。私か見たところ、明治
中期から大正時代にかけてつくられたのでは
ないかと思います。それは所々「手打ちの釘」
が使われているからです。釘は明治の中頃か
ら徐々に機械で製造するようになってきます
から、それが普及する前後と考えられます。
 竹どうしがぶつかるところには、鍋頭の(
マイナスの)木ネジを使ってつないでいます。
中が空洞の竹に、本ネジが利くわけはないの
で不思議に思いました。木ネジを締める竹の
急所の空洞には、木が差し込んでありました。
そうやって強度を保っています。
 同じ竹を使うにしても、竹細工では木ネジ
を使ったりしないのに、ここではそれが使わ
れているのが面白いところです。また、小口
には化粧になる木を入れて、穴をふさいであ
ります。竹の切口は大きさが一律ではありま
せんから、切口に差込む木に和紙を巻いて調
節して、抜けないようになっています。あま
り強度を必要としないところは「竹釘」で留
めてありました。竹釘は、表面をあぶって炭
化させて使います。昔からよくやっているこ
とで、鉄の釘より永持ちするともいわれてい
るのです。

村松貞次郎
大正二二年(一九二四)~平成九年
(一九九七) 建築史家。静岡県生
れ。東京大学卒業。技術史に基づく
日本近代建築史を確立。近代建築の
保存にも尽力した。東京大学生産技
術研究所教授、法政大学教授を歴任。
著書に『大工道具の歴史』ほか多数。

修復後の竹の椅子。アームなしとアーム付きがある。いずれも円や曲線をふんだんに使った、凝ったデザインだ。

 いずれにしても、竹に詳しい人が製作にか
かわっていることがよくわかります。丸竹の
曲げを生かした凝った意匠からも、そのこと
はうかがえます。いったいこのデザインがど
こから来たのか知りたいものです。

かなり苦労があったはず
 布がかぶって見えない座の枠に、柾目のヒ
ノキが使われている点も注目したいところで
す。大正時代になると、構造材に針葉樹を使
うことはまずありません。大半が広葉樹です。
そのことからも、これは明治時代のものでは
ないかと思われますし、「材料にいいものを
使う」気持ちがあったのだろうと察せられま
す。力布はビールズック(黄麻の厚い布)、
クッション材はシュロを精製したようなもの、
藁の土手を巻いてヘッシヤンクロスで下張り
してあります。普通は下張は金巾を使うので、
これまで見たものとは全然違うつくりです。
 修理前の状態は、座面がぽろぽろで、シル
クの横糸だけが残っている程度です。明治村
では、この椅子はほとんど使っていませんか
ら、その前にそうなったとい丐ことです。格
式のある所で使ったものと思われますが、着
物がひっかかりやすかったり、不合理な点も
もち合せています。けれど、座面がこんなに
なるほど愛着をもって使った人がいるのだと
思うと、感慨深いものがあります。
 つくる側からすると、かなり苦労があった
はずです。竹をこれだけ曲げて使うのは大変
なことです。曲げること自体は、それほど難
しい技術ではないのですが、ここでは太い黒
竹を使っていますから、曲げるのにかなり時
間をかけたはずです。黒竹はねばりのある強
靱な材料で、一〇〇年近くはもつといわれて
います。

暮しの道具に使いたい
 竹という材料は、一年で生長し、三~四年
で強靱な材になります。この生長の早さと耐
久性を考えると、もっと見直していい材料だ
と、私は常々思っています。
 昔は寵や笊をはじめ、竹は身のまわりでい
くらでも使われていました。また家具材料と
して使う試みも、坂倉準三、シャルロット・
ベリアン、ヨーガンレールなどいろんな人が
行っています。竹に対する思いは、誰もが心

こちらも明治村に保存されていた「竹塗蒔絵小椅子」。座枠の裏のシールに「大正九年十月調」とあった。写真上は修理前、右は修理後の部分。修理前の椅子は、一見すると漆塗に見えるのだが、実はペンキ塗だった。進駐軍のしわざである。それとわかったのは、終戦後、進駐軍が駐留していた日本家屋の床の間や床柱が、同じようにペンキで塗られた例が、関東地方に多かったからだ。

シャルロットーペリアン
Charlotte Perriand
一九〇三~一九九九 インテリアデザ
イナー。ルーコルビジュエと彼のいと
こであるピエールージヤンヌレと共同
で、コルピュジェ事務所が設計する建
築の、家具の大半をデザイン。一九四
〇年から四六年まで、日本商務省の工
芸アドバイザーもつとめた。

坂倉準三
明治三四年(一九〇一)~昭和四四年
(一九六九) 建築家。岐阜県生れ。
東京帝国大学卒業後、パリ大学で建築
学を学ぶ。ルーコルビュジエの事務所
に勤務。帰国後、坂倉準三建築研究所
設立。代表作に「パリ万博日本館」「
神奈川県立近代美術館」「新宿西口広
場」など多数。

誰もが心のどこか深いところにもっているか
らではないでしょうか。ながめていると落着
くとか、背筋が伸びるような気持ちがすると
か、そうした精神論は今でも華道の人たちや
趣味人が唱えていますが、身近な材料として
使われることは現代では稀になってしまいま
した。私か考えるのはそこのところで、もっ
と生活の道具にならないかと思うのです。
 わが国では真竹、矢竹など二〇〇種以上が
自生しているといわれていますが、孟宗竹や
黒竹、淡竹は中国からやってきたといわれて
います。函館あたりまで、竹は植林によって
生えています。九州は孟宗竹が多く、これは
肉厚で材自体が真竹の仲間より荒いのです。
南の方が肉が厚くて太くなり、何かをつくる
にはつくりやすいけれども、繊維が荒くなり
ます。
 以前、デザイナーの佐々木敏光さんがデザ
インした竹の椅子をつくりました。というよ
り、佐々木さんは竹の産地大分在住なので、
竹を使って家具をつくってみてはと勧めたの
です。別府の試験場では木質の研究もやって
いますから、地の利を生かそうと試みました。
 この椅子は一九八八年にイタリアのミラノ
サローネで発表して評判になりました。京都
のレストランに納めたり好評だったのですが、
思いがけないところが壊れたのです。孟宗竹
では弱いことに気付きました。
 そこで伊勢神宮が管理している竹を訪ねた
り、産地をまわってみました。結局、静岡の
真竹がいいことになりました。真竹は粘りが
あって、折れにくく、光沢もあります。関東
や伊豆半島、熱海など風の強いところの真竹
はいいのです。私は伊豆半島の出身なのに、
灯台下暗しでした。思えば子供の頃、身近に
あった漁具の部品や網を繕う針はたいてい真
竹でつくってありました。切断面がなめらか
でないといけないからです。
 竹はその用途に応じて、種類を使い分ける
必要があります。扱いにくい材料であること
も確かです。明治村のこの椅子も、同じもの
をつくることは技術的には難しくないのです
が、根気が続くかどうかでしょう。竹を使っ
た道具が、暮しのなかから消えた理由のひと
つは、そこにあるのです。合理的にできない
ものには価値がない、という現代の理屈です。
 しかし永い目で見れば、竹には多く煦可能

「桜花蒔絵小椅子」。座枠の裏には「明治二十年十一月製造 西洋家具商 安田勘作 塗師 矢嶋銀次郎 蒔絵師 熊澤半造」とある。製造場所はわからない。東京・芝のリストには、この人たちの名前はない。そもそも塗師と蒔絵師の名前があって、家具職人の名前が記されていないところに、当時の価値観がうかがえる。

性があります。何度もいうように、早い生長
は資源の問題に対処することができます。日
本全国に分布しているのも魅力です。強い、
軽い。その目で見れば利点がたくさんあるう
えに、私たちの血のなかには、竹を愛でる感
情がひそんでいます。竹を暮しの道具の材料
として蘇らせるために、今ならまだ間に合う
と思うのです。

「昭憲皇太后の椅子」一明治天皇のお妃、昭憲皇太后が使ったというフォールディングチェアー。クワの木でできていて、背と座が籐張、上にクッション材を置き、布で張ってある。木の部分には、工芸品に近い蒔絵がほどこされている。蒔絵の柄の藤をアレンジした部分と、張地の柄はお揃いになっている。左が修復後。

そのほか修復を請負った 明治村の椅子から

「三重県庁舎の椅子」—–左が修復前。脚や背にかぶせてあった金属の部分も新しくメッキをし直した。随分とキンピカな椅子だったことが判明した。

- Company -会社概要

MINERVAの軌跡

“日本初の家具モデラー”の創業者の理念を受け継ぎ、
天皇陛下の玉座修復から西洋家具市場への発信まで取り組んでいます。

1966年8月、東京・品川区で創業した「五反田製作所」が前身のミネルバは、特注家具の製作や修繕を手掛けるプレミアム家具メーカーです。
世界最大規模の国際家具見本市「ミラノサローネ」への出展、大手自動車メーカーからの依頼によるシートの試作、一流ホテルやレストラン用、ヨーロッパハイブランド特注ソファの製作など、幅広い分野で豊富な実績を築いてきました。

沿 革

11月22日(木)放送予定のテレビ東京系「二代目和風総本家」の「皇室と職人~ニッポンが誇る最高峰の技~」では、天皇陛下の儀式用の椅子「玉座」の修復を手がけるミネルバの職人が紹介されました。

テレビ東京系「二代目和風総本家」公式ウェブサイト:
http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/
https://twitter.com/wafusohonke

※写真:テレビ東京系列和風総本家より

創業者の宮本茂紀は日本初の“家具モデラー”として、世界的な建築家やデザイナーの作品を具現化してきた実績があります。

現在、代表取締役の宮本しげるが二代目家具モデラーとしてデザイナーやアーティストが起こすデザインやイメージ、想いを的確に読みとって実際の家具製作へと結びつけています。

※玉座の修復に取り組む初代モデラー
 創業者 代表取締役会長 宮本 茂紀(右) 黄綬褒章受章
 二代目モデラー 代表取締役社長 宮本 しげる(左) 東京マイスター受賞

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