【「椅子づくり百年物語」
( O M 出版)宮本茂紀著より】
双璧をなすふたつのイタリア家具
B&Bの「バイシティ」とカッシーナの「マラルンガ」

- About -はじめに

【「椅子づくり百年物語」( O M 出版)宮本茂紀著より】双璧をなすふたつのイタリア家具 B&Bの「バイシティ」とカッシーナの「マラルンガ」

 前項で紹介した「MODEL7」に続き、
工業化時代を象徴する椅子の話をします。ア
ルフレックス社と同様に、今もイタリアモダ
ン家具を代表する、B&B社とカッシーナ社
の椅子のことです。

チッテリオの「バイシティ」
 B&B社はその前身をC&B社といいまし
た。代表者二人の名前、カッシーナとブズネ
リの頭文字をとったわけです。一九六九年の
設立で、この年は私か独立した年でもありま
す。C&Bは当初からウレタンの塊のような、
まさに工業製品としての家具をつくっていま
した。
 六九年に同社が発表したガエターノ・ペッ
シエがデザインした「アップ」を、四年くら
い後に初めて見たときは、「これも椅子なの
か」と、とても驚きました。モールド発泡し
た本体に、いったん縫製した布を張り、ビニ
ールシートの袋に入れ、真空パックしてつぶ
れた状態で販売し、使うときは、ビニールシ
ートの封を切り空気が入ると、ウレタンの反
発で膨らむというわけです。そのパッケLン
も新鮮でした。日本でもオリエントという会
社が、これと同様の椅子を生産、販売し始め
たので、買ってみましたが、うまく膨らまな
かった覚えがあります。
 ちょうどその頃、七三年一〇月にオイルシ
ョックが起ります。七四年七月にC&Bは分
裂し、翌月にB&Bに改称して再出発をしま
す。ウレタンを使った工業製品としての家具
づくりに、益々力が入るようになりました。
ただ、オイルショックの影響で、前のように
ウレタンを塊で使うようなつくり方は減り、
石油を節約できる、合理的な方法へと変わっ
ていきました。そしてその合理性を生かした
デザインの家具が次々と発表されたのです。
 アントニオーチッテリオの「バイシテイ」
も、そのなかの一脚です。座の全体ではなく、
上一〇〇ミリくらいがモールド発泡ウレタン
で、そのウレタンの上に直に革が張ってある
という大胆さです。一般的には、化繊綿か薄
い布で下張することが理想的だとされます。
こんな方法は、従来の椅子づくりからは考え
もつかないことでした。しかも肘や背の革も
実は糊で張ってあるだけで、革張というより
は糊貼といった感が強いくらいです。

 背のクッションは羽毛ですが、その上に化
繊綿か巻いてあって、なかの羽毛を感じさせ
ないようにしてあります。日本の場合は羽毛
が片寄らないように、四角くキルティングす
るのが普通ですが、これはなかでV字に縫っ
てキルティングし、片寄らないようにつくっ
てあります。背の中身は板で、そこから飛出
したようにくっついた肘は、その板にボルト
で締め付けて固定しています。
 こうした家具には、技術のすごさというよ
り「思い切りのよさ」を感じます。昔の技術
を知っていればいるほど、ここまで思い切る
のは難しいものです。工業製品としての家具
づくりの方法を、独自に築いたとさえいえま
す。
 だからこそ、世界一流のデザイナーや建築
を起用して、彼らが生み出す新しい発想を、
臆することなく形にすることができたのでし
ょう。「バイシティ」にしても、よく見れば
何だか変な形で、ともすればバランスの悪い
形にさえ見えます。こうしたかのを商品とし
て堂々と発表し、成功させてしまうのがB&
Bなのです。
 もちろん世界を了-ケットとして、大規模
な設備とそれに見合う量を生産しているから
こそできることです。
 ただ私自身はこうした同社の製品に対して、
感心する反面、どこか冷たい印象をいつも持
っていました。工業製品とはいえ、手でつく
る部分があまりに簡略化されていたからです。
そんな印象が消えたのは、二〇年ほど前、わ
が国で「イタリア展」が開かれたときでした。
ブズネリさんが来日し、私も会うことができ
ました。髭もじやの彫りの深い顔、ピン久の
シャツを着た彼は、見るからにバイタリティ
ーがあり、野性的な人でした。この人なら、
ああいう家具をつくるのもうなづける、と妙
に納得したのです。その豪快な人柄に触れて
以来、冷たい印象は消えました。
 この豪快で大胆なところは、B&B社の製
品の特徴です。安っぽいことや半端なことは
しません。ウレタンひとつとっても、いいも
のを使うという姿勢は徹底しています。手間
をかけずに豪華に見せる____これがB&
B社の真骨頂といえます。


ガエターノ・ペッシエがデザインした「アップ」。中身は全部ウレタンである。

アントニオ・チッテリオ
Antonio Citterio
一九五〇~ 工業デザイナー。イタリア・
メダ生れ。ミラノエ科大学建築科卒業。パ
オローナヴアと共同でアトリエを準兄、カ
ルテル社、B&Bイタリア社、フレックス
フォルム社などの家具を多数デザイン。

初期の頃の「バイシティ」

現在販売されている「バイシティ」
左頁の図にある初期のモデルは、現在製造されていない。
メーカー= B&Bイタリア社(伊)
デザイン=アントニオ・チッテリオ
1人掛 W870 × D950 × H810 (SH400)

マジストレッティの「マラルンガ」
七五年頃、私はイタリアに旅をしました。ミ
ラノの家具メーカーを見て歩くことが目的で
す。そのなかに、発泡材を型に流し込んで、
家具をつくっているところがありました。随
分大きなもので、何となく変なものをつくっ
ているなと、思った覚えがあります。
 後にわかったのですが、それがカッシーナ
社の「マラルンガ」でした。C&Bと袂を分
かち、七五年に誕生したカッシーナ社の初期
の代表的な椅子といえます。ヴィコーマジス
トレッティがデザインしたこの椅子は、背が
折曲がる独特のデザインと坐り心地のよさで、
今もカッシーナ社の商品のなかでも人気
の高いものです。
 このカッシーナ社の家具の、日本での製造
に際して私は試作をすることになり、七九年
一〇月に、イタリアの工場に出かけました。
工場近くのペンションに二週間近く滞在し、
研修に励んだのです。工業製品としての椅子
がどのようなものか、その仕組みや工程など
を教えてもらい、実に刺戟的でした。
 アルフレックス社の「MODEL7」以上
に、「マラルンガ」は合理的な量産態勢でつ
くられています。座、背中、アームなどのす
べてが分業で、完璧なシステムで流れていま
す。それがとても新鮮でした。工場の内部も
すっきりしていました。現在は工程が変わっ
ていると思いますが、私か行った当時は、た
とえば、外注でつくったモールド発泡のパー
ツが山のように積み上げてあり、クッション
やパーツがひとかたまりになって宙づりにな
った状態で、工場のなかを移動していました。
それを次の作業をする人が、必要な場所で降
ろして使うという具合です。機械化できると
ころは徹底して機械化。こんなこと、手でや
った方が早いというところまで機械化されて
いました。
 それは生産している量が違うのです。日本
でこれだけの設備とシステムを設けても、採
算が採れません。少量多品種の日本市場では
難しいことです。カッシーナ社の社長が、そ
の後わが社の工場を訪ねてくれたとき、あま
りにたくさんの企業の家具をつくっているの
で驚いていました。
多くを学んだ思い出
誰がつくっても、均質のものができる製造方

マラルンガ
メーカー=カッシーナ社(伊)
デザイン=ヴィコ・マジストレッティ
1人掛 W1040×D950×H720~1040 (430)
2人掛 W1660×D950×H720~1040 (430)

「マラルンガ」を日本で発売する前に、私が解体して作成した構造図。(現行商品とは異なる)

法をとりながら、前出の「バイシティ」同様、
この「マラルンガ」も高級感を大切にしてい
ます。ひとつには材料です。たとえば中綿。
原料は安い樹脂製のものですが、ちゃんと家
具用に手間をかけて加工したものを使ってい
ます。ふわふわしすぎないように圧縮してボ
リュームを押さえ、キルティングして使うの
です。これらも全部機械作業です。
 わが国の化繊綿はあくまでも寝具用で、家
具用のものは少なく、しかも体積で判断する
傾向があるので、とりあえずふんわりして見
た目のボリサ・Iムはありますが、ソファな
どに使用されるときは、ごまかされてしまい
ます。ふわふわしているのですが、使ってい
ると結局すぐにペシヤンコになってしまうの
です。
 発泡ウレタンについても、このマラルンガ
はいいものを使っています。発泡ウレタンは、
原油からとれるナフサが原料で、それにイソ
シアネートや難燃剤などの原材料を混ぜ、化
学変化によって発泡させてつくります。その
工程の違いで「コールド」と「ホット」の二
種類に分かれます。コールドの方が少量、多
品種の生産に向いています。マラルンガはこ
のコールド発泡ウレタンを使い、しかも背が
折れ曲がるデザインですから、あらかじめ構
造となる部品をインサートした状態で、発泡
させていました。
 商品のよさを左右しているもうひとつの要
素は、やはり「型どり」「縫製」でしょう。
ここがしっかりしていないと、優れたデザイ
ンもきちんと形になりません。ですからいい
モデラー(試作家)が必要になってきます。
 イタリアの場合、階級社会の要素と徒弟制
度がまだ残っており、今でもモデラーの子は
モデラーという具合に、家業を継ぐ例が多い
ようです。つまり優秀なモデラーが多く、最
近では工場で腕のいい職人が、モデラーにな
ることも増えています。
 「階級」ということでいえば、ホワイトカ
ラーとブルーカラーの区別も、実にはっきり
していました。大学出の人などは、それだけ
で特別扱いです。同じ会社でも、ブルーカラ
ーとホワイトカラーは、入口も別なら食堂も
別。私か工場に研修に行ったときは、当然ブ
ルーカラーの人たちと行動を共にしました。
同じ職人として仕事をしてきた者に対して、
彼らはとても親切です。ミシンをかけている

ヴィコーマジストレッティ
Vico Magistretti
一九二〇~ 工業デザイナー。イタリ
アーミラノ生れ。ミラノエ科大学建築
科卒業。カッシーナ社、アルテミデ社、
ノル社、オリベッティ社など、家具や
照明器具ほか多数デザイン。

と、ほっぺたがくっつきそうなくらい顔を寄
せてきて、いろいろ教えてくれようとします。
仕事を終えてからバールへ飲みに行き、家具
の話をあれこれするのも楽しみのひとつ。彼
らは家具の製造に携わる者として、きちんと
意見をもっているので、身ぶり手ぶりで話し
ながら得たこともたくさんありました。

巨大な鯛焼器みたいな型を使って、発泡していた。

背のモールド発泡ウレタンには、あらかじめ背が曲げられる構造を入れておく。

1979年当時のカッシーナ社工場内部。現在はだいぶ様子が変わっている。

こちらも79年当時の工場の様子。背に化繊のクッションをかぶせているところ。キルティングしたクッション材を糊で貼っていく。写真のおばちゃんは、永年この仕事をしているというベテラン。ふくらみの付け方に、ちょっとしたコツがあり、私も最初はうまくできなくておばちゃんに叱られた。困っていると「気にしない、気にしない」とアメを勧めてくれた。

- Company -会社概要

MINERVAの軌跡

“日本初の家具モデラー”の創業者の理念を受け継ぎ、
天皇陛下の玉座修復から西洋家具市場への発信まで取り組んでいます。

1966年8月、東京・品川区で創業した「五反田製作所」が前身のミネルバは、特注家具の製作や修繕を手掛けるプレミアム家具メーカーです。
世界最大規模の国際家具見本市「ミラノサローネ」への出展、大手自動車メーカーからの依頼によるシートの試作、一流ホテルやレストラン用、ヨーロッパハイブランド特注ソファの製作など、幅広い分野で豊富な実績を築いてきました。

沿 革

11月22日(木)放送予定のテレビ東京系「二代目和風総本家」の「皇室と職人~ニッポンが誇る最高峰の技~」では、天皇陛下の儀式用の椅子「玉座」の修復を手がけるミネルバの職人が紹介されました。

テレビ東京系「二代目和風総本家」公式ウェブサイト:
http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/
https://twitter.com/wafusohonke

※写真:テレビ東京系列和風総本家より

創業者の宮本茂紀は日本初の“家具モデラー”として、世界的な建築家やデザイナーの作品を具現化してきた実績があります。

現在、代表取締役の宮本しげるが二代目家具モデラーとしてデザイナーやアーティストが起こすデザインやイメージ、想いを的確に読みとって実際の家具製作へと結びつけています。

※玉座の修復に取り組む初代モデラー
 創業者 代表取締役会長 宮本 茂紀(右) 黄綬褒章受章
 二代目モデラー 代表取締役社長 宮本 しげる(左) 東京マイスター受賞

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