【「椅子づくり百年物語」
( O M 出版)宮本茂紀著より】


高知産ムロの木づくしの心意気

- About -はじめに

【「椅子づくり百年物語」( O M 出版)宮本茂紀著より】高知産ムロの木づくしの心意気

 私は古い椅子の修理の仕事を、たくさんや
ってきました。修理の仕事なんてやっても食
えない、という思い込みの習慣が家具業界の
なかには永いことあって、一度もやったこと
のない不安も手伝ってか、嫌がる職人も多い
のです。それで私のところに依頼が来るのか
どうかは知りませんが、古い椅子を触ること
は新しい発見がたくさんあって、私には心踊
る仕事です。若い職人にとっても、貴重な勉
強の機会です。
 いずれも明治、大正時代のものが多く、わ
が国の椅子の草創期につくられたものばかり
です。それらを解体し、中身を調べ、補強し
て、新しい布地や革に張り加える。そういう
作業をしていくうちに、私はその椅子がもっ
ている「物語」にひかれるようになりました。

というより、いつでも「物が生まれてくるには、
その背景になる物語がないと面白くない」と思
っていますから、その点、古い時代の椅子に詰
まっている物語はとても魅力的です。
 今回お話しするのは、修理をしたわけではあ
りませんが、同じような時代に建てられた「八
芳園」の洋間の椅子の物語です。
何でここまでムロの木に
東京・港区にある八芳園に、私はかねがね興味
をもっていました。ここは澁澤喜作がもってい
た土地を、久原房之助か買い取った場所で、建
物は大正五年につくられたものです。
 なかに入って驚くのは、床、柱、建具、家具、
すべてがムロ(榁)の木でつくられていること
です。

久原房之助
明治二年(一八六九)~昭和四〇(一九六五)
実業家、政治家。山口県出身。慶応義塾大学
卒業後、明治三八年、日立鉱山事務所を設立。
大正元年に、これを久原鉱業株式会社(現在
の日本鉱業)に改組。以後、日立製作所、日
立造船などを設立。昭和三年、政界に進出。
政友会総裁もつとめる。政治とアジアの国交
に深く関わり、戦後も日中・日ソ国交回復国
民会議議長として中国とモスクワを訪問して
いる。享年九六。

澁澤喜作
天保九年(一八三八)~大正元年(一九一二)
実業家。武蔵(埼玉県)生れ。従兄の澁澤
栄一らと尊王攘夷運動に参加するが、のちに
一橋家に出仕。彰義隊を組織。維新後は、大
蔵省に出仕。明治二〇年に深川正米市場を設
立。二九年に東京株式取引所理事長に就任、
投機事業界を代表する一人となった。

八芳園
明治になって澁澤喜作所有の土地になる以前、
古くは大久保彦左衛門忠敬の老居の地だった。
六〇年にわたり徳川三代に仕えた大久保が、
清正公(覚林寺)の僧、日延の招きで移り住
んだとされる。庭には徳川家光から下賜され
た盆栽の松と山茱萸(さんしゅゆ)があって、
のちにこの松を気に入った久原房之助か澁澤
からこの土地を買ったといわれる。長谷川観
光が八芳園を創立するのは昭和二六年。

ムロはネズミサシともいい、カイヅカイブキ
などと同じヒノキの仲間です。強度があって、
ツヤもあり、トゲのきつい木です。伊豆半島
にもありますが、八芳園のものはすべて、高
知の材でつくっているそうです。ムロはわが
国では昔から床柱などとして使われてきまし
たから、木としての価値はある程度認識され
ていたものでした。とはいえ、何でここまで
ムロの木にこだわったのか、なぜ山口県出身
の久原氏が高知から材をもってきたのか、不
思議です。
 久原氏は明治二年に、山口県つまり長州で
生まれ、慶應義塾を卒業した、まさに明治の
エリートです。日立製作所、日本鉱業などを
創設した実業の人は、もしかしたら明治維新
の立役者、高知県出身の坂本龍馬に憧れてい
たのだろうかと、いろんなことを考えました。
 八芳園には孫文をかくまったという部屋も
あり、隠し扉があって外に出られるようにな
っています。その扉ももちろんムロの木でで
きています。
 写真で見ると、いささかくどく見えるかも
しれませんが、実際に訪ねてみると、落着い
たいい室内です。全体が黒光りしていて、手
入れよく使ってきたことがうかがえます。天
井には杉の皮を張り、廊下などは丸太を輪切
りにして、その小口をびっしり並べたつくり
で、とても美しく感じました。

西洋にはないものをつくろう
 では大正五年とは、わが国の西洋家具の歴
史のなかで、どのような位置にあるのか見て
みましょう。西洋家具の歴史は、実は明治維
新とほぼ同時に始まっています。
 明治二年(一八六九)には、東京・芝の古
家豊吉さんが、長崎に椅子づくりの修行に出
かけ、明治五年に芝・田村町に開業します(
詳しくは八二頁)。同じ年に、横浜グランド
ホテルのコックだった大河原甚五兵衛さんが、
その手先の器用さを生かして、横浜で室内装
飾及椅子張り屋を始めています。明治九年に
は中野洋家具が芝の赤煉瓦通りにできていま

す。このはしっこさには目を見張ります。こ
の頃は、まだ技術もぎこちないものですが、
急速に進歩をとげていきます。特に明治中頃
から大正中頃へかけての技術の発達は、いち
じるしいものがあります。材料は穀物を輸入
するときに使う麻布を力布にしたりと粗末な
ものですが、かなりしっかりしたつくりにな
っていきます。
 八芳園のこの椅子も、そうしたさなかにつ
くられており、そのことをよく表しています。
馬毛で土手(座や背の形をつくる部分)をこ
しらえ、張地は革、当時としては上等で珍し
いものです。そして注目すべきは、まったく
の西洋家具のレプリカではないデザインをし
ているという点です。ムロの木との組合わせ
がそのことをよく表しています。

孫文
一八六六~一九二五 清から中華民国時代にか
けての革命家、政治家。三民主義理論を完成し、
「中国革命の父」と呼ばれる。一八九四年、興
中会を組織し、清朝打倒に立ち上がるか、失敗
して一時日本に亡命。この久原邸にも滞在し、
久原氏から活動資金の援助も受けたという。
享年六〇。

ブルーノ・タウト
一八八〇~一九三ハ ドイツの建築家。鉄の塔、
ガラスの家、色彩建築、集合住宅で世界的に知
られる。来日して、群馬県高崎市に居を構え、
工芸指導や『日本美の再発見』などの本を著し
た。トルコのイスタンブールにて死去。享年五八。

「椅子」という西洋の形式のなかに、自分た
ち日本人なりの美意識を取込もうとしている
気持ちが、痛いほど感じられます。西洋の形
を借りて、西洋にはない椅子をつくり、侘、
寂をしつらえた新しい室内を実現しようとし
ている、その気概が伝わってきます。
 世界のデザインの歴史からすると、大正五
年は一九二(年、バウ(ウスが設立される三
年前のことになります。ブルーノータウトが
来日するのが昭和八年。したがって「モダン
デザイン」が日本に紹介されていくよりずっ
と以前の椅子としては、とてもよくできてい
ると思います。かえって親しみがもてるほど
です。接着剤もニカワくらいしかなかった時
代です。時間もかけてつくっているはずです。
頑張ってつくっていると、素直に思います。
ただきれいなだけの今どきの椅子は、下手を
したら負けてしまいます。
 こういう椅子はデザインじゃない、という
人がいるかもしれません。けれども、こうし
た椅子があるからこそ、私たちは現代から過
去に遡ることができ、過去から今を知ること
ができるのです。刺戟的なものを生み出すこ
とも創作の使命として大事ですが、一〇〇年
の歳月を経たものを知ることも、同じように
大事です。どこに出しても恥ずかしくない、
永く使えるいいものをつくりたいと念じた、
その志がこの椅子から感じられます。それが
「物がもっている物語」だと思います。
 明治元年から昭和二〇年代までの約一〇〇
年で、わが国は西洋家具を取入れて学んで、
ひと区切りをつけたと私は思っています。で
はその先はどうなったか、今はどういう時代
なのか、そしてこれからどうなっていくのか。
それを考える手がかりが、こうした明治大正
の椅子に隠れています。

孫文を逃がしたという、地下道に通じる穴。
棚の下の扉は、閉めるとそれとわからない。

縁側は、びつしり切り株を詰め込んだムロの床。

- Company -会社概要

MINERVAの軌跡

“日本初の家具モデラー”の創業者の理念を受け継ぎ、
天皇陛下の玉座修復から西洋家具市場への発信まで取り組んでいます。

1966年8月、東京・品川区で創業した「五反田製作所」が前身のミネルバは、特注家具の製作や修繕を手掛けるプレミアム家具メーカーです。
世界最大規模の国際家具見本市「ミラノサローネ」への出展、大手自動車メーカーからの依頼によるシートの試作、一流ホテルやレストラン用、ヨーロッパハイブランド特注ソファの製作など、幅広い分野で豊富な実績を築いてきました。

沿 革

11月22日(木)放送予定のテレビ東京系「二代目和風総本家」の「皇室と職人~ニッポンが誇る最高峰の技~」では、天皇陛下の儀式用の椅子「玉座」の修復を手がけるミネルバの職人が紹介されました。

テレビ東京系「二代目和風総本家」公式ウェブサイト:
http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/
https://twitter.com/wafusohonke

※写真:テレビ東京系列和風総本家より

創業者の宮本茂紀は日本初の“家具モデラー”として、世界的な建築家やデザイナーの作品を具現化してきた実績があります。

現在、代表取締役の宮本しげるが二代目家具モデラーとしてデザイナーやアーティストが起こすデザインやイメージ、想いを的確に読みとって実際の家具製作へと結びつけています。

※玉座の修復に取り組む初代モデラー
 創業者 代表取締役会長 宮本 茂紀(右) 黄綬褒章受章
 二代目モデラー 代表取締役社長 宮本 しげる(左) 東京マイスター受賞

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