永遠にリサイクル
この四月、京都の迎賓館が開館しました。
私はこの新しい迎賓館に納める、いくつかの
椅子の製作をしました。限られた条件のなか
では、精一杯いいものをつくったつもりです。
しかしその条件というのは、製作を請負う業
者としてはかなり厳しいものでした。わが社
に限らず携わった職人たちは一様に、品質を
考えたら、納期や予算などもう少し何とかな
らなかったのか、と思っているはずです。後
世に残る、平成を代表する迎賓館なのですか
ら。
私は東京の迎賓館(旧・赤坂離宮)の椅子
を、かつて修復したことがあります。それだ
けに今回の仕事は思うところが大きかったの
です。
東京赤坂のご存じ「迎賓館」は、明治四二
年に建てられ、昭和四九年に改修工事を行い、
現在に至っています。この改修工事は、まさ
にあらゆる技術を結集した、二〇世紀を象徴
する大工事でした。
このとき、二階右側のスペースの大半-喫
煙室、小食堂、サロンなどの椅子を私の所で
手がけました。三好木工の下で請けた仕事で
す。小食堂は三〇脚全部新品をつくり、それ
以外は一〇〇脚近い椅子の修理をしました。
修理といっても、椅子を全部ばらして塗装か
ら何から、すべてやり直すのですから大変で
す。昭和四九年三月の開館に合わせて、昭和
四五年から四八年の秋までこの仕事にかかり
ました。
幸い、私か徒弟に入ったところが、こうし
た修理ばかりやっていたので、それがこのと
き大いに役立ちました。徒弟として修行を始
めた昭和二八年という時代は、ちょうど戦中
戦後に倉庫に眠っていた美術品などが、世の
中に出始めた頃でした。宮内庁や旧財閥系の
蔵にあったものです。それらの修理の仕事が
あったのです。私か小僧をしていたところで
は、出光興産の美術品の修理を中心にやって
いました。塗装、彫刻などの細工や金箔貼な
ど仕事内容は様々です。決してきれいな仕事
ではなく、埃をかぶったものばかりで、当時
は嫌だなあと思ったものですが、そこから勉
強したことも多く、後から思えばそれがよか
った。美術品としての家具を修理のためにば
らすということは、それをつくったヨーロッ
木のフレームに金箔を貼ってある。張地といい、
豪華な仕上である。漆に弱い私には、命がけと
もいえる金箔貼りの作業だった。
旧・赤坂離宮、現在の「迎賓館」の修復はまさに大工事だった。昭和49年当時、腕利きの椅子職人の多くがこの修復に関わった。写真は修復後の椅子。
京都迎賓館に納めた椅子。
パの職人の仕事がわかるということです。椅
子の構造や、たとえば中身の馬の毛は埃まみ
れになっていても、はたいてきれいにすれば
何度でも使うことができることなども、その
とき覚えました。永遠にリサイクルするので
す。
この迎賓館の椅子の修理は、随分発見があ
りました。そもそもこれらの椅子は、赤坂離
宮を建てるにあたり、明治の頃にヨーロッパ
から輸入したものでしょう。椅子をばらして
から「灰汁洗い」という塗装をはがす作業を
するのですが、これをやるとヨーロッパの職
人の要領のよさがよくわかります。彫刻が欠
けてしまったような所を、何と石膏でごまか
しているのです。特に上から金箔を貼ったり
塗装をしてある場所に多く見られます。ごま
かしているというと言葉が悪いのですが、な
るほどなあと感心しました。日本人なら木を
継ぎ足して、同じように彫刻を施します。石
膏を使ったりしません。当時のヨーロッパの
職人は、こんな工夫をしていたのです。
石膏ですから、灰汁洗いをすれば当然なくな
ってしまいます。そこでさっそく私は、また
石膏でつくればいいや、と思ったのですが、
日本の検査官は偉くて「きちんと木でやりた
い」というものですから、残念ながら木を継
ぎ足して直しました。
昔の椅子と今の椅子
ここで少し、昔ながらの椅子の構造と、今の
一般的な椅子の構造についてお話ししておき
ましょう。
右頁の図と下の写真を見てもらうとよくわか
ります。昔ながらの椅子は、スプリングの上
にクッション材を置きます。これには馬の毛
やヤジの繊維などが主に使われます。ほかに
芝草、水草、稲藁、竹などを使うこともあり
ます。稲藁は日本独特のものです。これらを
使って、縁の部分に「束土手」をつくります。
この束土手の良し悪しが、職人の腕の見せど
ころです。束土手とひと口にいっても、いろ
んな技術があり、いくらでも高さを出せる利
点があります。今どきの椅子のクッション材
の大半を占める、ウレタンフォームのように、
型崩れすることがありません。きちんとつく
ったものならば、張地が破れても、中身は崩
れないのが特徴です。コイルスプリングが衝
撃吸収材として優れているのは、どこに坐っ
左/スプリングと馬毛はこんな具合に納まっている。わが社では、こういう見本を勉強用につくっている。
右/ウレタンフォームを使った場合。左の束土手をつくって形をつけたものと比べると、やわらかくて頼りない。触るとよくわかる。
東京の迎賓館の椅子は、明治時代に
ヨーロッパから輸入したものと思われる。
っても同じように圧力がかかるためで、しっ
かりと体を受け止めてくれることです。
ウレタンフォームも、使い方次第で非常に
有能な材料です。しかしリサイクルという点
で、半永久的とはいきません。また近頃の椅
子のクッション材としての充填物は、大半が
ウレタンフォームですから、それしか選択肢
がないことが問題です。つくる側も使う側も、
その違いを知る機会がありません。
次の修理は誰がする
さて迎賓館の椅子の修理には、彫刻を施し
た上に、漆を塗って金箔を貼るという作業が
あります。漆は乾くときに箔を引っぱって貼
り付くので、箔とはとても相性のいい材料で
す。これは箔を専門に貼る人の仕事で、この
時は東京藝大の偉い漆の先生が貼ることにな
っていました。ところがこの先生、よくいえ
ば丁寧なのですが、大変に要領の悪い大で、
納期が迫ってきているのに、仕事が計画通り
進まないのです。先生は投げやりになり、こ
のままでは納期に間に合わない。元受けは困
り果てた末、箔を貼る仕事まで私か応援する
ことになりました。とにかく納期は迫ってい
ますから、やらないわけにはいきません。彫
刻が鋭角に彫れているようなところは、箔は
大分無駄になりますが、箔をまるめて突っ込
んで、皺は箆の柄で擦りならすという、先生
が見たら卒倒しそうなやり方でした。金の純
度が高いので、これでなめらかに仕上がるの
です。私はもともと漆に弱い体質で、作業を
するうちに、入院した方がいいというくらい
腫れあがってしまい、そんな状態で仕事を終
えた覚えがあります。
余談になりますが、昭和六〇年頃に喜多俊
之さんの紹介で、イタリアはミラノに馬の毛
を扱っている家具屋さんを訪ねたことがあり
ます。ご主人と奥さんと職人の三人きりの家
具屋で、まさに昔ながらのつくり方で椅子を
つくっていました。驚いたのは、そこでは布
張から彫刻、それこそ金箔貼まで何でもやる
のです。親方が何でもやる人で、家具だけで
なく、カーテン、カーペット、つまり内装全
般その店で引き受けてくれるのです。椅子張
屋の前身は、馬具屋かホテルの営繕部みたい
なところですから、それを考えれば当然です
左は馬毛、右はヤシの繊維。編んであるものをほぐして使う。馬の毛は、見た目より硬くて腰があり、しっかりしている。現在は条約の改正で、馬毛だけ単独で輸入ができなくなってしまった。手に入れようと思ったら、馬毛を使っている製品を輸入して、それをバラして中身だけ使うしかない。
が、そういう店は当時のミラノにもすでに六
軒しかないということでした。しかも御主人
は六〇歳くらいで、自分は若いほうだといっ
ていました。
私の会社では、若い人の勉強用に昔ながら
の椅子の構造と、今の構造がわかる椅子(前
頁写真)などをつくって教えていますが、こ
うした家具を実際につくる機会もなくなりま
した。
もしまた次の時代に、迎賓館を修復するこ
とがあったら、さてどうするのでしょう。そ
して京都の迎賓館は、そもそも修復ができる
のでしょうか。それをするに値しなければ、
修復されることもなく、破棄されていくでし
ょう。世界に向けた迎賓館を名乗る以上、つ
くる大も使う大も、未来の大たちにずっと胸
を張れる仕事の場所であってほしかったので
す。
MINERVAの軌跡
“日本初の家具モデラー”の創業者の理念を受け継ぎ、
天皇陛下の玉座修復から西洋家具市場への発信まで取り組んでいます。
1966年8月、東京・品川区で創業した「五反田製作所」が前身のミネルバは、特注家具の製作や修繕を手掛けるプレミアム家具メーカーです。
世界最大規模の国際家具見本市「ミラノサローネ」への出展、大手自動車メーカーからの依頼によるシートの試作、一流ホテルやレストラン用、ヨーロッパハイブランド特注ソファの製作など、幅広い分野で豊富な実績を築いてきました。
沿 革
テレビ東京系「二代目和風総本家」公式ウェブサイト:
http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/
https://twitter.com/wafusohonke
※写真:テレビ東京系列和風総本家より
現在、代表取締役の宮本しげるが二代目家具モデラーとしてデザイナーやアーティストが起こすデザインやイメージ、想いを的確に読みとって実際の家具製作へと結びつけています。
※玉座の修復に取り組む初代モデラー
創業者 代表取締役会長 宮本 茂紀(右) 黄綬褒章受章
二代目モデラー 代表取締役社長 宮本 しげる(左) 東京マイスター受賞